渋川問屋
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 ◆所在地/会津若松市七日町
 ■建築物等の概要
 ●所有者 (株)渋川問屋
 ●建築年 明治初年
 ●構 造 木造2階建
 ●階 数 2
 ●設 計 不明
 ●施 工 松田長吉

●街なみ・建築物等の由来●

 かつての会津五街道のうち米沢、越後、日光の主要な三街道が通った七日町に明治初年に創業し、山国の海産物問屋として海の幸にめぐまれなかった会津では貴重なタンパク源のニシン、棒たら、塩干物を強清水・門田一の堰など会津一円の魚屋、料理屋に供給していた。又会津各地の清流に産する鮎なども一手に扱っていた。その後肥料、酒ビール、しょう油等も扱い、今で言う総合商社そのものであった。当時では民間最大の冷蔵庫も所有していた。そのころの賑わいは店内に飾られている大きな金看板からも十分感じとれる。2階には「憂国の間」と称する離れがある。この室は2・26事件に連座し民間人でただ一人処刑された渋川善助ゆかりの部屋で、松本清張や三島由紀夫など多くの作家が訪れており、三島氏が訪れた際、この部屋に命名した。
 現在は豪壮な店舗は旅人館として、海産物問屋ゆかりの料理を出している。宿泊棟のロビーは明治当時のニシン蔵をそっくり利用している。庭や土間、内庭、蔵まわりなど長い間未公開だったが、今は公開され、ここは町の豪壮な大店の雰囲気とたたずまい、そして大正ロマンを満喫出来る一画となっている。客室として近年建てられた別棟の黒漆喰の建物は平成9年度福島県建築文化賞の特別賞を受賞した。

●街なみ・建築物の特徴●

 明治初年の創業に合わせて建築された、海産物問屋として、商品を売り買いする連格子のある木造2階建貯蔵用の蔵、家族・従業員が生活した建物といくつもの建物が建築され、今でもその名残がある。
 塩分の多いものを扱っていた事や、商売と生活を共にして来たので、その時代時代に合った増改築を繰り返して来た。大工は新潟県東蒲郡の松田長吉であったと思われる。中心的な建物はしばらく使われていなかったがシャッターを外し、板戸、障子戸をつけその他リニューアルを行い古き良き時代に戻って郷土料理店として再生している。1階は重厚な柱梁や桁、レンガ、ガラスも多用され、2階の大広間や離れからは大工の腕が偲ばれる。
 隣接した蔵は看板やシャッターがついたりしているが、当時の写真ではベランダが付き、洗い出しの壁、化粧門柱等があり威厳とモダンが調和した、栄かりし総合商社の蔵らしさがよくわかる。
 この一画の建物には歴史の変遷がみえ、人間くささがあり古いものと新しいものが調和し、歩く人に共感を与える建物群となっている。


図面リスト
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1.配置図 2.1階平面図 3.2階平面図 4.立面図